育ての親根岸清風氏逝去

昨年の吟行会に世話役、司会をやっていただいた根岸清風副会長が、年の暮十二月半に入院、翌四十六年正月早々急逝された。碩心会育ての親、事ある毎に積極的に吟道の為に尽くされた功績と、その御恩は忘れられない。皆伝、清岳を追贈された。

四十六年の初吟会は、大船支部の世話で農協の会館で行なわれて九十数名参加盛大であった。根岸清風先生が指導していた長柄は、根岸晃岳先生、一色、下山口は加藤秀岳(岳相)が受持った。二月十四日には大船支部開設五周年大会が鎌倉市商工会議所地下ホールで行なわれた。五月二日の国立教育会館で行なわれた第六十回全国大会には碩心会から三十名の合吟コンクールに四支部連合で出場したが、惜しくも選に漏れた。五月十六日の逗子吟舞連の大会が行なわれ、この時から名称を逗子市詩吟詩舞連盟と改称することとなった。

六月六日第二十五回県本部吟道大会が平塚市崇善小学校講堂で行なわれ、合吟コンクールに一色支部十名の女性組が出場し、入賞した。

県本部加入団体数五十七会、会員数二、八二四名となった。

再建十五周年大会開催

四十七年の初吟会は一月十三日、葉山町福祉会館で行なわれ参加者百余名、お膳立ても手ぎわよく会場満員、吟声、歌声どよめき和やかに一年のスタートを切った。

四十六年の一年間を準備工作に要した木村岳風先生記念館の建立基金二千万円も予想外の募金を見、碩心会から寄附者数百六十四名、金額十八万七千円か集り総本部委員長より謝辞を頂戴した。

三月二十日岳風会総本部主催の祖宗範二十年祭の第六十二回全国吟道大会には、逗子支部の男性十名が合吟に参加した、虎の門の国立教育会館は満員、岳風流統質実剛健の面目をうかがうことが出来た。

四月三十日には碩心会再建十五周年大会を逗子市図書館ホールで開催した。参加出吟したもの百八十四名出吟総数百五十九題、華道吟、書道吟、詩舞五題、他会吟友の賛助吟二十名、招待吟二十名、総本部理事長渡辺岳神先生の祝辞をいただき、極めて順調に吟の盛り上りも充分で会場も満員、会員一同及び諸員の協力の賜と感激の極みであった。

九月三日の第二十八回県本部吟道大会は川崎市労働会館で開催され、十名の独吟者が参加した。今後春季は各地区大会、秋季は県大会を行うこととなった。

堀内支部開設十周年大会と暮参吟行会

四十八年の吟始めは一月十四日、 葉山町福祉会館で開催、百余名参 加。

各支部の代表吟を皮切りとして溌刺たるこの年のスタートを切った。」月十九日には紫舟支部の開設、二十五日には一色の第二教場が加藤秀岳指導の下に発足、二月一日には逗子銀座吟詠会が、銀詠支部としてスタート千葉剱風氏が指導を担任された。同じく沼田洸風先生(後、岳雷)の職場でも八名の吟友によって吟甫支部が発足した。二月四日には県本部主催の吟道講座が逗子市図書館ホールで開催され、受講者二〇〇名、碩心会からは八名が参加、講師は渡辺岳神理事長と可児先生が担当した。

四月四日には新しく戸塚支部が開設、鈴木支部長以下八名で、故根岸師範(後、岳萃)と故三井会長と大船支部会員多数の応援祝福で賑々しい発会式を行った。同じく八日には、碩心会発展の礎となった堀内支部開設十周年吟道大会が葉山町福祉会館で催され、松井、新田、岡嶋各先生の臨席の下に多彩で内容の充実した大会を全員の努力と他支部会員の協力で全うし、」致団結した堀内支部の伝統を遺憾なく発揮した。

四月二十九日(日)東京九段会館で催された第六十四回全国吟道大会には竹石憲風が独吟で出吟、六月三日の同じく全国青少年大会には内山俊泉が独吟に出吟した。

五月一日には九名の吟友で、葉警支部が支部長熊田幸春氏、指導者守谷尚山・鈴木笙山と会長が月一回出向く事で発足した。五月六日の紫川支部の大会には、碩心会より多数が出演出吟応援した。

四十八年最後を飾る岳風先生墓参吟行会は、十月六日、七日バス二台で八十七名が参加。車内は賑やかに恙なく記念館の参観をすませ、岳風先生御夫妻のお墓に香華を手向け、乃木希典作「神州」を合吟一同感激した。

毎年会の行事として行なわれている春秋の審査会、春は一八四名、秋は一八〇名の人達が昇段、昇伝の許証を受けました。

再建時より十七年目にして名実共に大きな会となりました。

総本部認可の表札

昭和四十九年一月十三日(日)、碩心会初吟会を逗子京急ビーチセンターで行った。(戦後の建物で汐湯温泉と言って親しまれた。)

二〇〇人以上収用出来る舞台付きの大広間を借りての初吟会、午前中各教場単位の合吟、役員吟詠会長挨拶、招待者挨拶等のセレモニーで、午後は演芸大会、此の日の為に練習したというだけあって、カラオケ、民謡、踊り等、多彩な芸の連続で司会者も時間に気をもみながら半日を楽しませてくれた。