詩吟のあれこれ問答

詩吟とは

漢詩が中国から日本に渡ったのは600年代で、李白、杜甫、白楽天等の作った名詩が紹介されこれを基に日本でも漢詩が作られるようになりました。
江戸時代、藩内子弟の教育の為、水戸の弘道館に代表される藩校が開かれましたが、私塾も盛んで、広瀬淡窓の桂林荘では全国から延べ4600人余の塾生が集まり、本格的に詩吟を習いそれぞれ故郷に帰って詩吟を広めました。
 それまで日本では、和歌の朗詠が中心で有りましたが、漢詩の朗詠も盛んになり江戸時代の文化とともに現代朗詠に近い節調で漢詩が朗詠されるようなりました。
 詩吟の特徴は、歌のようにリズム、メロディに乗せて歌うのではなく、詩文の素読(朗読)を基本とし、素読の後に特有のメロデー(節調)を加えることで詩情を表現します。
 大正から昭和にかけて、木村岳風や山田積善といった吟詠家が活躍し、現在の諸流派の祖となりました。
 詩吟は、独吟といって一人で吟ずるのが本来の姿であるが、複数人で吟ずる合吟や複数人が順に吟ずる連吟も行われています。また、詩吟は舞(詩舞)を伴う事があり、これらを総称して吟道といいます。

詩吟界の現状と愛好層

 詩吟の流派は数百と云われるほど多くあります。高弟が独立して新たに宗家を名乗るのが多くあるためで、全国的な組織を有する流派もある一方極めて小さな流派も少なくありません。
 木村岳風が創設した「岳風会」は、平成24年「日本詩吟学院」と名を改めまして公益社団法人の認可を受けました。日本詩吟学院は傘下に206の詩吟団体を持ち約70,000名の会員を擁しております。
 当碩心会もこの日本詩吟学院の認可団体です。
 詩吟愛好層としては、老後の趣味で始める人が多いと感じられるでしょうが、近頃はインターネットなどを通じて若い人たちの間にも注目されてきております。
 芸能界にも詩吟をやるものが結構多いそうで、石原洵子の曲「寿契り酒】は、冒頭に詩吟を入れてあります。
 詩吟の全国大会などで優勝するのは圧倒的に若い人でして、声の張りがものをいうのでしょう。
 一方、「わび」「さび」を表現するにはそれなりの修練が必要で、長い年月研鑽を積んで名人の域に達している方々が詩吟界を支えております。